即時更新でお届けする、日本一周の旅実況中継

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おはようございます。起きたら正午でした。つまり、昨夜は再びよく眠れたということになります。借金と返済を交互に繰り返し。まるで眠れない日とやたら長時間寝てしまう日を交互に繰り返し、自分の意思による結果ではないとはいえ、どうにも極端です。今夜も安眠出来ることを願って止みません。

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朝食どころか昼にも遅い時間になってしまいましたが、ともかくいつもの朝食と同じように用意をしていただきます。ヨーグルト、ご飯と味噌汁、缶詰の秋刀魚煮、秋刀魚煮の皿の中に一緒に梅干し、白和え、金平牛蒡、納豆です。

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長期連泊者の中でも特に仲良くしている何人かがいます。何故仲が良いのかというと、ほぼ同じ時期にけらまにやって来て滞在を始めたからで、いわば同期とでも言うべき存在です。一人は、仕事の拠点を沖縄に移して移住すべく、その準備を兼ねて少しの間のんびりしていた男。しかし彼は自分の車を持ってきていて、駐車場事情の厳しい那覇にいつまでも居られませんでした。そして駐車場のある安宿を求めて北部へ移っていきました。
そしてもう一人、地元沖縄の人間でありながら何となく仕事をせずにぶらぶらしていた男。ただし無頼漢というわけでもなく、朗らかで優しいとてもいい奴でした。しかし彼もとうとう住み込みの仕事をするべく今朝、内地に旅立っていきました。

それぞれまるで異なる理由で沖縄の安宿に転がり込んだ、だからこそ面白いわけであり、入れ替わりが激しいのはむしろ当たり前です。しかし袖振り合うも多生の縁、仲の良い人が宿を出ていくのは寂しいものです。一つ大いに無念だったのは、腰痛のせいで私だけ彼を那覇空港に見送りに行けなかったことです。まったく間の悪い病気が恨めしいです。
ところで全くの余談ですが、彼が就いた仕事というのはトヨタの下請け企業の工場作業だそうです。この仕事、たとえば夏の北海道など旅人の間でもたびたび話題に上るものです。聞けば驚くべきことに、家具付きアパートであるレオパレスの借り上げの個室寮が用意されている上、支度金まで支給されるのだそうです。こんな厚遇があるとは、これならば徒手空拳であってもこの仕事に就きさえすれば何とか食いつなげることになります。詳しい事までは知りませんが、多くの人に人気なのも頷けます。

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ここからが本記事の本編です。風邪から腰痛へと症状が移り、健康な日はもう戻って来ないのかと鬱屈しているところですが、症状が変われば最も辛いこと、不便なことも勿論変わります。腰痛の初日は体を動かすことが全く出来ないのが何といっても辛苦の極みで、また本当に不便なことでした。これに対して熱を出した風邪の初期において、最も不便をしたのが夕食です。
私の普段の夕食は典型的な酒呑みのそれで、米は食べず、酒のあてばかりを食べ、食べる量も少ないです。しかし熱があった時にはとても酒など飲む状態ではなく、何より飲みたいという欲求が全く起こりませんでした。普段の夕餉がこのような感じですから、こういう時にどうしていいものやら困ってしまいます。結果としてほっともっとで弁当を買ってきて食べるという日々が続きました。

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自分で食事を用意する気力など到底なく、そして酒を飲まないとなるとまず思い浮かぶのが食堂に食べに行くことです。しかし熱にやられている身としては楽な姿勢で時間をかけてゆっくり食べたかったのと、何より鼻水が止まらず間断なく鼻をかみ続けていなければならなかったので、この時点で食堂で食べるのは無理でした。こうなると弁当を買ってきて宿で食べることが唯一の選択肢となります。
先にも述べました通り、沖縄は全国で最も個人営業の弁当屋が充実している弁当屋天国です。それだけにほっともっとを利用するのは尚更虚しいのですが、これらの弁当屋は専ら朝から昼の営業で、個人店で夜にも開いているところは無いのです。ここにさらにほっともっとが宿のすぐ近くだったという条件が加わり、消去法で残るべくして残ったというわけです。

それでもほっともっとを毎日のように利用することになるとは、自分でも予想外の展開でした。しかし人がとことん追い詰められた時、とことん困窮した時にとる行動こそが最も合理的な答えなのだと、そんな当たり前の事を改めて認識したのでした。