
昨日の活動で最も印象に残ったことを振り返ってみます。それは、勝田線の跡は末端の区間こそ長閑な田舎の風情だったものの、大部分は福岡都市圏の住宅地だったということです。しかも、もし残っていたなら博多駅まで乗り換えなしの直通で行けたのです。

宇美辺りから都心部に列車で通勤している人も一定数いると推察されますが、宇美駅の改札のところに「博多駅は長者原のりかえです」と書かれていたのが印象的でした。長者原で篠栗線に乗り換えて博多方面へ行くわけですが、その篠栗線もかつては勝田線と似たような田舎の閑散路線だったのでしょう。しかし今や都心部への通勤路線としての性格が強くなり、電化され、朝夕は六両編成の列車が混雑しています。
都市部の拡大に伴って脚光を浴び、旅客輸送量が激増する典型例ですが、もし勝田線が残っていたなら、と想像せずにはいられません。しかしこれも今となっては後の祭りです。

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